巴日和と漣ジュンの二者間における愛の循環について

 ※注意
『感謝祭*愛を語らうヴェリテ』の感想文になります。ネタバレしかしないので未読の方はご了承ください。
点と点を適当に繋げた陰謀論者による作文です。全部嘘なので話半分くらいに読んでいただけると幸いです…。そもそもこんなん読まない方がいい(本当にそう)


前置き


皆さま『感謝祭*愛を語らうヴェリテ』は読みましたか?
今までのEveの歩みの結実と相互に与える愛によって変容していく様が非常に美しい話でした。ありがとうあんさんぶるスターズ、ありがとう。感謝してもしきれねぇんですよ(漣)
ありがとう、ありがとう…とぶつぶつひとりで壁に向かって唱えていたオタクによる怪文書になります。
個人的に感じたうれしいポイントを論拠を示しながら整理していく自分のための文章なので、あまり信じず適当に読んでやってください。あなたのEveとわたしのEveはパラレルワールドなので……


漣ジュンが巴日和に及ぼした影響


前編公開時で一番うれしかったところは楽園Sanctus/第一話のここです。

はい うれしい

巴日和の生き様については詳しく後述しますが、本人も言っている通り「与えられた役割をこなすだけ」の受動的な生き方を自ら選んでいたのがこれまでの巴日和です。
この性質が顕著に現れているのがソロ曲で、「日の当たる場所へ会いにおいで」「生きる価値が欲しいのならただ受け止めればいい」「ここに来れば満たしてあげる」など、あくまでも日和は待っているだけで他者に選択肢を委ねている。ひとりの人間として、アイドルとしてそういう生存戦略を取った人なのだと思います。
この姿勢が変化する兆しが見えたのが今回の話であり、「漣ジュンが巴日和の生き方を変える要因のひとつになった」ことをジュン本人に明言してくれたことが本当にうれしいです。

売れるためならなんでもいい、という危うい従順さを見せていたジュンに対して「ぼくのコピーが欲しいんじゃない」と漣ジュンの魂がなにものにも穢されないよう拾って傍に置いたのは他でもない日和です。
どんな地獄にいても周りに染まらず美しいまま。ある意味誰より能動的であり、日和が最も愛しているそうした高潔な精神が日和を変容させた。これがうれしくなくてなんなんだ涙涙






日和からジュンへの愛や施しは見返りを期待してのものではありません。この命を見殺しにするような自分をもう二度と愛することは出来ないから、綺麗なきみと同じようにもう一度やり直したいと思ったから。ノブレス・オブリージュに基づくものであると同時に巴日和の魂の救済のためでもあります。





巴日和の思う漣ジュンという人間の数あるお気に入りポイントの中で最たるものってどん底にいても空を見上げられるところで、麻薬を売り捌くような真似をして精神を擦り減らして逃げた先で、泥中にいても高潔なままの漣ジュンを綺麗だと思って拾い上げた。このことから、日和はジュンに「絶対に離れない他人」「一心同体の相方」これらの役割以上に、上昇志向を失わない飢えた獣のままに強く大きく成長してくれることを望んでいると思っています。
また、このことをジュン自身も理解しています。



日和から施されるばかりではなく自分で餌を取ってこられるほど大きく成長することが日和への恩返しであり、サガでもあった通り日和もその瞬間を心待ちにしています。




ジュン自身の成長が日和に捧げられる最大の愛であり感謝の証明の術であり、そのことを日和も理解している。Eveの二人の間における「愛」というものは基本的に一貫してこういうものであることがうれしいです。Eveってお互いがお互いの光で…必ず相手の手を引いてくれて…うれしっ


おめでとう漣(誰?)
他の誰かの望みを反映させた「巴日和」ではなく自分自身がこう在りたいと望む自分になろうとするきっかけが漣ジュンということ、これめーちゃ凄いことですよ。漣ジュンに備わった牙は一年かけて巴日和についに届かせることができたの、おめでとう漣さん。

ジュンの己のために努力する姿勢が日和に影響を与え、でもジュンがそうやって真っすぐに育てる環境を用意したのは日和で…愛の循環で…大いなる愛の前に全ては巡り来る(フル詠唱)





巴日和の受動性と「おひいさん」の役柄


この章では巴日和の本質について述べた上で、上記のような影響を漣ジュンが巴日和に与えたことの重さを考えていきます。




自分に宛がわれた役割を最後まで全うし、決して観客に舞台裏を見せないという点で日和は極めて優秀な役者であり偶像と言えます。また、その生き方は誰に強制されたわけでもなく自主的なもので、道化としての在り方は兄に捧げる愛であり日和自身の誇りに直結しています。





今回のストで、献身の対象である兄が日和に歩み寄ることを日和自身は線を引いて拒絶するような場面が見られましたが、これも日和の「演者」としての生き様は自主的なものであるからに他なりません。「道楽者の次男坊」も日和が自分で選んだ役で、そこに巴日和が他者からの同情を求めることはありません。勝手にやっているだけだからです。





日和の演者としての振る舞いは魂に染みついたものであり、誇りであり、自己防衛でもあるのかもしれません。誰に誤解されても役を演じているだけだからどうでもいい。自分さえ自分のことを見失わなければそれでいいし、仮に見失ったとしても、役者が舞台上で台本にない台詞を口にすることはありません。
理解者を必要とせず、ひとりきりでも生きられてしまう人だからこそ太陽系の中心で輝く恒星なのだと思います。



こうした巴日和の強固な仮面に傷をつけたのが漣ジュンです。


綺麗に咲くだけの花であり、家に尽くす戦国時代のお姫さまのような生き方をしていた巴日和に文字っただけの偶然とはいえ、「おひいさん」と名付けて仮面の下を一瞬でも見破ってしまったから日和にとっての「消えない噛み痕」になったのだと思います。




結成当初のジュンからしたら「おひいさん」という渾名は文字っただけで深い意味はなく、役柄を期待してのものではありません。しかし、その与えられた役を日和自身が愛して受け入れ、自らおひいさんらしく(?)漣からもらった虚像に寄り添うような振る舞いをしている巴日和さんを見ていると…楽しそうで、なによりです。←これになってしまう;;
日和にとって「おひいさん」はいっとうお気に入りの役なんだろうなあと思います。







漣ジュンから見た「おひいさん」と実態との齟齬




ウェディングマーチのこの発言を見たとき、日和自身はどちらかと言うと助演の立ち回りをしがちじゃないか?こいつの目は節穴か?(え)と思っていましたが、ジュンから見える日和は真に「こう」なのだと示されてようやく腑に落ちました。
無垢で(笑)、世間知らずで(笑)、我が侭放題で、傍若無人で、己が望むものはすべて手に入れてしまう人。笑顔で世界中に愛を振りまく太陽そのものなんだろうなあと思います。









一方で日和自身は世界が美しいものばかりじゃないと理解しているし、ロマンチストでもない、夢を最後まで見ていられない人です。巽のように無尽蔵に手を伸ばすことはしないし、だからこそ巽のそういうところを好ましく思うのかもしれないし、どん底にいても周囲に染まることはなく綺麗なままのジュンを眩しく思うのかもしれない。







ヴェリテの食堂での会話は漣ジュンの中の「おひいさん」と実際の日和の言動が齟齬を起こした結果です。自分の中の理想を押し付けるようなものにも見えますが、ジュンからしたら本当に「そう」見えてるだけなんだ…と分かったことがめちゃうれしいです。
日和が振りまく愛や笑顔は真実であり、愛を語るだけの理想家ではなく、慈悲を持って周囲に救いの手を差し伸べられる貴族である、という点が巴日和という人間の輝きの本質だと(個人的に)思っています。






そうした日和の愛を受け取って同じ類の愛を継承したジュンだからこそ、「おひいさん」はこうだという理想像があるのだと思います。前述したとおり、巴日和にとって「おひいさん」という役は救済であり息をしやすくしてくれるものです。日和の核である家族の問題を外部に持ち出すことは今までの日和にはありえないことですが、そこを突き崩したのがジュンが日和に与えた仮面という事実が…ほんとうにうれしすぎて…なける。
漣ジュンの未来とうつくしさを誰より愛しているのは日和であり、それと同じくらい巴日和の気高さと眩さを信じてくれているのがジュンなのかもしれません。




本来ならどちらか一方という選択肢を提示されたら片方しか選ばないし、できるなら真っ先に己を切り捨てる人間に対して「あんたはそんなことしなくていいんです」と言い切って手を引いてくれるの、流石に、うれしすぎて、頭おかしくなる。
普段我が侭放題な日和が唯一自我を押し殺して振舞う場に一歩踏み込んで「もっと我が侭言えよ!」と言ってくれる。これはジュンが日和に与えた自由奔放な「おひいさん」という役があったから成立したことです。






コンクエストで日和の本質を本人から開示され、アブソリュートではついにその仮面の下まで到達した。日和の本質が受動的で家族のための献身が核にあるひとだと理解した上で、それとはまた違う役どころである「おひいさん」でいればいい、あんたはきっとその方がいいだろと言うの…すごいことですよ。

これなに?

「おひいさん」という仮面はジュンが日和に贈る「こうあってほしい」という祈りであると同時に、日和が日和自身を縛る役を上書きしてしまうような愛でもある。これが漣ジュンからしたら「我が侭」という認識なの…こんなにいじらしくやさしい我が侭がありますか??巴、感謝しろ(誰?)


結論


漣ジュンという人間の魂に惚れ込んだ日和がジュンを掬い上げて手元に置いて愛し、ジュンは与えられるばかりでなく成長し続けてくれる。そして、そんなジュンの一途に努力する姿勢が今度は巴日和に能動性を付与する要因のひとつになり、ジュンが与えた仮面によって日和は日和自身が望む自分であることができる。与えた愛は巡り巡ってまた日和の下に還ってきてくれるんだ、、愛の循環、凄いです……♪



あとがき


上記の文章は全て一個人の感想であり、全部嘘です。あくまでも自分からはこう見えているというだけなので… 普通に嘘かも涙 ここまで読んでくださった方がいましたらありがとうございます。
『感謝祭*愛を語らうヴェリテ』ありがとう。あんさんぶるスターズ、ありがとう────



(おまけ)Eveにおける恩返しとは


話の本筋とはズレるのでおまけという形にしましたが、この異常発言について考えたいので考えます。


心中可能宣言以来の恐怖

東雲彰人さんのサイストより、漣ジュンから巴日和への恩返しは「成長した姿を見せる」「おひいさんの我が侭を叶えてやる」大きく分けてこの二つの方向性に分けられます。
今回のストで主軸となったのは後者の方です。ジュンにとって日和の普段の我が侭を叶えることは、手に余るほど抱えている感謝を少しでも返したい故のものです。我々からしたら十分に恩を返していると思うし、なんなら日和にとってはジュンが成長し続けてくれること自体が報酬なので恩返しも何も望んでいなさそうだけど、漣ジュンさんだけがすべて返したいと思っているらしい。変だ(え?)


Eveに対して心中する?しない?する?しない?する?しない?する?しない?どっち!?(する~かも♪)とEveは心中可能なのかについて本気真剣ガチで考えていましたが、この発言を見て、少なくともジュンは本気でしてくれるかも…と思いました。こわいね Eve本気恐怖部

漣ジュンにとっては、あんたの隣で歌い続けることも心中したって構わないのもなんだかんだと我が侭を叶えてやるのも迎えに行って付き添ってやるのも…すべて恩返しの手段であり感謝を示す行為としては同列のもので……おかしい(!?)


Eveって…こわくて、愛に満ちていて、こわくて、光と光で、こわくて、こわくて……萌えるよ涙涙

コメント

このブログの人気の投稿

Eveへの思想整理